A-1 AutoはLIPやセイコー・ジウジアーロのパクりか?



私がデザインしたA-1 Automaticは、デザインの教養がある方々や、ユニークな腕時計を求める腕時計愛好家達から評価されるとともに、一部の人々からは「あの時計に似ている」、「あれのパクりじゃないか」などとのコメントも受けてきました。

類似点があるのは否定しませんが、決してパクりではありません。ということを今回の投稿でご説明していきます。


*以下は元々Twitterでのコメントに対する返信を元に加筆修正したものである。


主に腕時計愛好家の方からはロジェ・タロン(Roger Tallon)デザインによる「LIP Mach 2000」や、ジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro)のデザインによる(通称)「セイコー・リプリー」、「セイコー・ビショップ」などに関して、類似性を指摘して頂いております。LIPに関してはその存在をデザインする以前より知っていたことはIndiegogoキャンペーンページにも記してある通りですし、セイコー・リプリーの存在も認知しておりました。

もくじ

A-1とLIP Mach 2000との類似性
A-1とジウジアーロその他の腕時計との類似性
同一ブランド内での類似性は許されるべきか、収斂進化は理解されるか
もし左右非対称の腕時計が一般的だったら
ウォッチスノブ達へ
A-1 Autoをお買い上げくださった方へ


A-1とLIP Mach 2000との類似性


ただ、デザインの観点から外観上類似するそれぞれを見て考えて頂けば、これがただのオマージュや形状をまねたものでないことはご理解いただけると存じます。


(LIP Mach 2000はこんな感じ)  

例えばMach 2000に関しては、私から見ればプッシャーの押しやすさを考えた上で、もしくは等間隔で並ぶ3つのボタンというリズム性を視覚的に楽しむなどの観点から、あのアイコニックな玉状のプッシャー形状ができ、それらが右側に突出しすぎるために時計部が左側に動かされたように見受けられます。


(無料オンラインモデリングツールTinkerCADで制作した初期デザイン群)

対しまして、私のデザインでは、まずムーブメントNH36の形状からデザインを始めました。左部が丸いのはムーブメントの外周最低限の厚みで時計を作りたかったからです。上の写真の下段に移っているのは初期デザインの中でもより古いもので、より古い下段のデザインでは時計部が中央だったこともわかります。



Mach 2000では時計部左側、文字盤の外のケース部分がA-1 Automaticよりも幅広いこともわかるでしょう。これは、全体的にケースに丸みをつけるために、幅を広くとらなければならなかったためでしょう。また、後述しますがストラップ取り付け位置=ラグがケースから飛び出さないようにするためにケース全体が大きくなっていることもあるかもしれません。

その点A-1はムーブメントがギリギリ収まるようにケース径をデザインしており、そのサイズ制約の中で最も見やすい文字盤の大きさ=可能な限り文字盤域を広くとっています。ラグは、購入者が様々なストラップをつけることが可能なように少しケース本体から離しています。(ストラップやブレスレットの厚みは様々で、ストラップ取り付け穴と本体との距離が短いと取り付けることが出来ない場合があるため、本体とラグの距離をとることで少し余裕を持たせています。)


そして、左手首に装着した時に竜頭が飛び出ないためのデザインとするため、時計部を中心から左にずらしました。それからストラップを接続するためのラグを上下に伸ばしています。当初はラグは横から見ると直方体でしたが(上画像右下から2番目のイラスト参照)、上部の端が邪魔なため、斜めにカットして今の形状(右一番下のイラスト)に至りました。

(一般的な左右対称の腕時計では手首の甲に時計と竜頭が当たるということを示す図。)

以上の説明でA-1 Automaticは手首に時計が当たらないようにするためのデザインでこの形状になったこと、そしてこの腕時計の形状とLIP Mach 2000との類似は外観的なものでしかないことはおわかりいただけると思います。(A-1 Automaticのデザインの詳細が気になる方はこちらの記事をお読みいただけると嬉しいです:『自分でデザインした腕時計を作るため、ブランド立ち上げ、クラウドファンディング始めました。』


(写真の本は前述のJosh Sims & Mitch Greenblatt著『Retro Watches』)

ほかにLIP Mach 2000と異なる点としては、A-1 Automaticはラグが本体から突き出すのに対し、Mach 2000はラグがケースに内蔵されている点もあります。その形状も考えなかったわけではないのですが、そうすると:

1.ストラップの可動域が制限される(ストラップは時計本体から斜め下にしか出せず、時計部と平行になりづらい)
2.ケース本体のサイズを大きくしなければならない(ムーブメント径ギリギリのサイズのケースにしたかったというのは先ほども述べたとおりです)

などの理由からケースからラグが伸びる形状としています。


(写真の本は前述のJosh Sims & Mitch Greenblatt著『Retro Watches』)

蛇足となりますが、LIP Mach 2000のストラップ付け根部分に関して批評させていただければ、スプリングバー周囲がストラップ幅よりも狭くなっており、よくよく見るとあまりスマートに見えません。

これは時計部全体とストラップ幅のバランスと、ケースとラグ幅のバランスを両立することができなかったためでしょう。ストラップ取り付け位置をより時計部の奥まった位置にすればストラップ幅とラグ幅を変える必要はありませんが、そうすると今度は時計が腕から跳ね上がるように見えてしまいます。時計部をより左に伸ばしても解決できますが、それも全体のバランスを崩してしまいます。

このような制限のある中での折衷案がストラップ付け根を切り取った形だったのでしょう。そして付け根を一部切り取っているため可動域への制限は少ないのかもしれません。


TinkerCADで制作した初期デザイン群。当初は裏蓋、ケース、文字盤、表蓋、を3Dプリントで作成しようとしていた。右側の四角い部分は蓋をケースに接合するための構造を入れ込むスペースともなっていた。)

Mach 2000との類似点としては、時計左が丸、右側が四角くなっている点があると思います。右側の四角部分は実はくりぬいた形にする案もあったのですが、そうするとゴミや死んだ皮膚(英語ではリストチーズとかよばれたりもしますね)が溜まって、それが見えてしまう可能性なども考えてそうしませんでした。

長く書かせていただいておりますが、これはLIPその他に似ているから購入したくないという人の気を変えるために書いているわけではなく、この腕時計が焼き直しではなく、人を踊らすために作ったものではないというのを周知するために書かせて頂いているものです。

A-1とジウジアーロその他の腕時計との類似性  


(セイコー・ビショップはこんな感じ)

さて、所謂セイコー・ビショップモデルに関しては、右手首につけることを想定した際に、ストラップよりも時計部がほとんど出ない構造になっており、逆に時計部が飛び出た側にはプッシャーがあることなどから、ジウジアーロは私と同様のデザインの取捨選択を経てそこに至ったのだと思います。しかし詳細を見ると、ベゼル左側はケースより突き出ていたり、ストラップ部分も左右非対称にしていたり、などと目指すデザインの違いがおわかりいただけるはずです。


(セイコー・リプリーはこんな感じ)

(セイコー・リプリーはそもそも時計部はストラップの中心線からみて中央に配されており、クロノグラフプッシャーのみが右に突き出ているというだけで、突き出た部品もケース形状とは線的に繋がっておらず、二度見すれば類似というほど似ていないことがおわかりいただけるはずかと。)


(LIP Zulu Quartz、Google画像検索より)

また、LIP Zulu Quartzに関しましては、左に寄ったデザインであることに加え、特に竜頭あたりの形状も類似しています。しかし私の腕時計のコンセプトは機能主義、合理主義であり、そこから導き出される必要最低限の形状となったのに対し、Zulu Quartzは時計部左部の角張った形状が意匠的/装飾的といえるでしょう。


そういえば今年はカルティエからCloche de Cartier というよく似た腕時計がでています。同社の20年代のデザインを90度横向きにしたためこのような形状になったとされていますが、どう見てもA-1 Automaticに似ていますよね?これは果たして私のデザインの、もしくはLIP Mach 2000やジウジアーロのデザインのパクりでしょうか?ご自身で分析してみられると面白いでしょう。

同一ブランド内での類似性は許されるべきか、収斂進化は理解されるか


LIP Mach 2000とLIP Zulu Quartzのように、同一ブランド内でブランディング/シリーズとして類似形状の腕時計を複数出すことはよくありますよね。ですが腕時計の外見的な形状がほかの腕時計に似ていることが批判の理由であれば、それらの著名なブランドの類似モデルたちや復刻モデルもすべてパクりであると批判されるべきでしょう。


(Bulgari Octo、Google画像検索より)

LIPのMach 2000というシリーズだけで多数の類似形状モデルが存在しますし、ブルガリのオクトシリーズ(上画像)、ロレックスの有名モデルも長年わずかに形を変えながら出ています。特に歴史の長いシリーズなどでは現行モデルをデザインするデザイナーはオリジナルと異なり、コンセプト、形状のみに元の要素を取り入れたオマージュということも出来るでしょう。50年以上前の自社の時計の復刻デザイン版を出すだけで高く売る/売れるというのは、形だけ真似て売るオマージュウォッチの売り方と変わらず、形だけ似せられたものを買うというオマージュウォッチの購入ともまたそう変わらないとも言えます。

無論、権利の面でブランドがデザインを所有しているのであればそれはパクりとは一般的にはされないのですが、ゼロからデザインしたのではなく、既存のデザインを元にして類似/同様のデザインがされたことには変わりありません。それに、元のデザインが当時の技術の粋を尽くして成り立った形状であればあるほどに、後の時代にその形状を似せて作ることにデザイン上の意味がなくなるとも言え、それはすなわちただの見た目のコピーに過ぎなくなります。

(なお私のオマージュウォッチに対する考えはこちらの記事に書かせて頂いておりますが、オマージュウォッチを一概に悪く見ているわけではありません。)


(収斂進化の例、Wikipedia 英語版9/2 2021より)

それらとは別に、コンセプトが類似するために必然的に同様の形状となるものも存在します。例えば、大半の自転車の形状は大まかにいえば類似すると言えるでしょうが、それはその働きを効率的にするものを設計する際に効率のよい形が存在するからです。

進化の過程が異なるのに類似する収斂進化も、互いがまねし合ったために起きたわけでは(たぶん)なく、最終的に効率のよい形状を探した結果行き着いたものです。例えば上の写真では、脊椎動物も頭足類も目は独自に進化し配線も異なるがよく似るという画像が右上に。右下には、翼竜、コウモリ、鳥の羽はどれも前腕が形を変えたものであることは共通するが、羽の進化の過程は異なる、という点が示されています。

左右非対称の腕時計に起きえる収斂進化的な形状がこの形、といえるかもしれません。そしてその進化の過程とも言えるデザインのコンセプトは、似た形状の腕時計でどれも違うであろうこともおわかりいただけたと思います。

もし左右非対称の腕時計が一般的だったら


(左右非対称の腕時計が一般的な世界では、これらの腕時計はすべてパクりと言われるだろうか)

「そもそも自分のデザインをこんなに詳しく解説しないとパクリと思われてしまうなんて、デザインが悪いからだ!」といわれる方もあるかもしれません。

でも「また時計買うの?似たようなのいっぱい持ってるじゃない!」と言われたことはないですか?

つまり時計に興味がない人にとってすべての時計が同じようなものに見えるのと同様に、A-1 Automaticが「LIPやジウジアーロに似ている」と言われる理由は、時計部が左右にずれたデザインの腕時計が珍しく、そのような時計があまり知られていないから。そしてLIPとジウジアーロの腕時計が左右非対称の腕時計のなかで最も有名なものだからと言えるでしょう。

私からすればこの「LIPやジウジアーロに似ている」という主張は、左右対称の腕時計はどれもロレックスであれグランドセイコーであれ100円ショップで売ってある腕時計であれ、どれも似通ったデザインと言えるから「左右非対称だからロレックスも100円ショップの腕時計に似ている」と言っているように聞こえます。

つまり「腕時計」全般について知っているつもりの方でも、実際には左右非対称の腕時計についてはあまりよく知らないために細部を見逃し「どれもこれもLIPやジウジアーロの真似」と見えてしまうのではないでしょうか?

オマージュウォッチと言えるか言えないか、というレベルの類似性であればパクリと言われるのも理解できますが、今回のように細部を見ていくと「似せた形状」ではないことは明確かと思います。

ウォッチスノブ達へ

もちろん単に類似性が指摘されるだけであれば、私も「確かに似ていますね」と言っておしまいなのですが、それがパクリだとか他人を踊らせるためだ、などと言ってくるウォッチスノブ(お高くとまった腕時計ファン)に対してはもう少し言いたいこともあります。

ほかの時計ファンを悪徳商法から救いたいという気持ちがあって「パクリ」などと言われているのでしょうが、自分の視点は本当に正しいか、そして自分の正義感の矛先は正し方向に向いているか、もう少し熟考してから行動/コメントに移って頂きたいです。知識と分析力のなさが露見するだけかもしれませんしね。

そして、美しさは皮一枚なんて言いますが、表面的な時計の姿形の下に存在するデザイン要素を自己分析していただきたいです。たとえ左右非対称の腕時計への知識がなくともデザインの分析力さえあれば違いを見抜けるでしょうし、逆に一見似ていない時計にデザイン要素の共通点などを見いだすことが出来るようになるはずです。そうすることで腕時計への愛もより一層深まることでしょう。


A-1 Autoをお買い上げくださった方へ


確かに数多くのオマージュウォッチが世に出てはいますが、A-1 Automaticはそれではないことはデザイナーである私が断言できます。そもそも数多くのオマージュウォッチをレビューしてきて、そこに面白みのなさ、腕時計とデザインへの情熱のなさを感じるとともに、手持ちの腕時計の多くで手の甲に竜頭が当たるという不満点を改善しようと、ゼロからデザインしようとしたものです。

もしA-1 Autoをお買い上げ頂いた方の中で、知り合いから「LIP Mach 2000やジウジアーロのパクりだろ」と言われて悲しい思いをされた方がおられたら申し訳ございません。それを言った方に是非このページを見せてあげて欲しいと思います。

(abcxyz)

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