オマージュウォッチのモラルジレンマ


*写真は本文に関係あるかもしれないし無いかもしれないが、その判断は読者の皆様に任せる

あの素敵なデザインが、あの欲しかった時計が、こんな価格で買えてしまう・・・でもそんなオマージュウォッチを買うことはモラル的に許されることなのだろうか・・・?

今後このブログでは怪しげな「オマージュウォッチ」のレビューも扱っていこうと思う。

その一方でオマージュウォッチを快く思わない時計ファンが多くいるのも事実だ。ソーシャルメディアで見かける限りでは「オマージュをレビューするならもうフォロー止める、レビューするならお前んとこのブログはもう読まない」というような、アンチ・オマージュウォッチな人も存在するようである。

私自身オマージュウォッチと聞くとそこまで良いイメージは持っていない。だが一概に「オマージュ=悪しき存在」と考えるのはおかしな話だとも私は考える。

そんななかで今回の記事では特にとりとめも無く、オマージュウォッチを考えてみようと思う。

(視覚的にわかりやすく、現時点での価格も表示され、製品詳細を記事中に書かずともリンク先で詳細を確認できる利便性などからこの記事ではAmazonアフィリエイトリンクを多用する)



もくじ


オマージュとは
類似性はオマージュか?
「本物の」?オマージュウォッチ
オマージュがネタ元の購入にプラスになれば「善いオマージュウォッチ」か?
ブランド力が脱「オマージュ」に繋がる?
本家より質の良いオマージュウォッチ
質の悪いものはオマージュか?
知らなかったらオマージュではないのか?
手に入らないものをオマージュ?
まとめ


オマージュとは


果たしてオマージュウォッチとはなんであろうか?一概にオマージュウォッチと呼ばれる時計の中にも、ほぼ元ネタの時計を丸々コピーしたものから、デザイン要素を部分的に用いているもの、またオマージュしたつもりは無くても必然的に似てしまっているものなど、様々あるのも事実だ。そして、その品質も、冗談みたいなものから、かなりしっかりした実用的なものまで様々ある。

ぱっと考えて「オマージュウォッチ」と呼ばれるものに共通するのは、「見た目が有名な時計に似ている」、「値段が元ネタよりもだいぶ安い」、「品質はネタ元よりも悪い」、「ブランドとしてはメジャーでは無いところが作っている」という様なことだろうか。

加えて、「どれこれの腕時計はどこそこのオマージュウォッチだ」と言われる際には「良く言えばオマージュ、悪く言えばパクリ」という雰囲気が存在する。

元々「オマージュ」(hommage)は誰かに尊敬を示すといった意味合いだ(語源を辿ると「誓約」といった意味のようだが via Wikitionary)。これが「オマージュウォッチ」と言った場合には、明らかな「パクリ」と言い切らず、「オマージュ」と言う表面的に聞こえの良い化粧を付けた見下し文句だともとれる。逆に、パクリと言いたくないオマージュウォッチ好きな人が考案したネガティブさを抑えた呼び名であるという見方もあるだろう。

アンチが居る他方、オマージュウォッチが好きという人々が存在することも事実である。例えばYouTubeのJust One More Watchはオマージュのレビューが多いことでも知られる。


類似性はオマージュか?


腕時計の機能やムーブメント形状からくる制約により、オマージュする/真似るつもりが無くとも必然的に似てしまっている腕時計が存在するのも事実だ。

腕時計のケースの形状は丸、三角、四角からより角の多い多角形まで様々にあるものの、そのほとんどは手首(または指)に装着するものという制約が存在する。文字盤のインデックスの要素形状もバー状、角形、アラビア数字、ローマ数字、そしてそれぞれにフォントバリエーション・・・など多様に存在すると言えば存在するが、12時間(もしくは24時間)、60分、という「決まり事」から大きくはみ出た時計は少ない。それを指し示す針またはディスク、液晶画面など、バリエーションは豊富にあるが、これも奇をてらったものでない限り腕時計特有のある程度の共通性からはみ出すことは無い。



ロレックスのサブマリーナを例に挙げてみよう。時計好きで無くともなんとなく見覚え、聞き覚えがあるという意味で知名度は非常に高い時計だ。そして、他の世界的に有名なブランドであっても、なんとなくこれに似ているデザインの腕時計を出しているところは少なくない。



が、たいていの場合これらはオマージュと見なされない場合が多い(一部には後述するブランド性の高さからそうみなされない場合もあるだろう。もちろんその中にはオマージュと揶揄されることがあるものもあるけど)。このようなものは、どれが意図的にサブマリーナをオマージュして作られたものか、そうで無いものかは区別が付きづらいだろう。

この点は、特定のスタイルの流行とも関連するだろう。時計のケース径の流行の変化に関してはForrestのレビューで記したが、これも一つのスタイルの流行だ。時計以外でも、素人目には乗用車でも数社が同時期に似たようなスタイルのものを発売しているように見えるし、スマートフォンでも同じことが言えるだろう。それは果たしてオマージュだろうか?それともその時々で人々が好む流行のスタイルを各社が追い求めた結果だろうか?(それとも企業スパイの暗躍がもたらす業界内の無言のスタイル均一化とかかもしれないが)

そして、サブマリーナが今も「流行っている」(もしくは需要が高い)状況がある中で、その流行に追いつくためにそのスタイル要素を取り入れるとしたら、それはオマージュなのだろうか?



類似性の面では、セイコー・アルピニスト(左)にメタルブレスレットを付けたものは「和製エクスプローラー」(ロレックス・エクスプローラーI、右)と呼ばれることがある。アウトドアウォッチという他に目だった類似性は無いように思われるが、「メタルブレスレットを付けたものは」という但し書き付きで「和製エクスプローラー」と呼ばれるということも重要な点だろう。このような愛称が付くほどの類似性をファンが見いだしている点はどう解釈されるべきだろうか?これが品質面の類似性を指摘するものであれば、見た目は似ていなくとも品質が近いものはオマージュとされるべきだろうか?純正メタルブレスが別売りされているのは、それに付け替えることでオマージュウォッチとなるからなのだろうか?

また、特定のスタイルが「デファクトスタンダード」となり一般化された状態であれば、そのスタイルを持つものはオマージュと言えるだろうか?「和製エクスプローラー」の例では、メタルブレスレットすらある程度似ていれば、アウトドアウォッチはどれも「(製造国)製エクスプローラー」と呼べるということだろうか?それとも、これがオマージュとされないのは、このスタイルはデファクトスタンダードとなっているからであり、同時にエクスプローラーがそのスタンダードの代表ということだろうか?

きっとダイバーズウォッチがまだ普及していなかった当時、後発のダイバーズウォッチは既存のものパクりだと思われていたことだろうが、今では歴としたとしたスタイルとして成立しているのではないだろうか。



クロノグラフ時計となれば文字盤内の必然的要素が更に増えるため、類似性も同時に増してしまう。オメガのスピードマスターやロレックスのデイトナなど、腕時計にそこまで興味が無い人にとってはどれも全く同じものに見えるかもしれない。そのような、ある程度の類似性を持つ時計ばかりを並べ、区別が付きづらい状況で、どの時計がどの時計のオマージュと正確に言えるだろうか?また、果たして意図的なオマージュだろうか?似ていれば全てオマージュウォッチと呼んでも良いのだろうか?それとも、どんなに小さな違いでも、その個性を尊重してオリジナルデザインの腕時計だと認めるべきだろうか?

同時に、模倣無くして人間は成立しないと言うことも事実だろう。模倣無くしては言語話者も増えなければ、文化の伝播も進化もない。ではこれを理由に模倣を許すべきだろうか?

新たに生まれる生物も既存生物の模倣であると言える。しかしそれが完全な模倣では無く、変化を伴う模倣であるからこそ連続性、継続性、多様性、そして進化が伴い、現在の私たちの世界を形作っている。そのような変化点が僅かでも見られたら模倣は許されるべきだろうか?


「本物の」?オマージュウォッチ


より典型的に「オマージュウォッチ」と呼ばれるものは果たして先に挙げた類似性のある有名ブランドの時計とどれだけ異なるだろうか?はたまた、似通っているのだろうか?



例えばこちらに挙げるInvictaやHYAKUICHI 101、PARNISなどの製品がよりその語に当てはまる気がする。このようなものは元ネタの時計のデザインをほぼそっくりそのまま真似ていながらも、自社のロゴを付けて、偽物やコピー商品では無いことをアピールしているもの、と多くの人が認識しており、それがすなわちオマージュウォッチとされるようだ。

つまりこれらは「偽物のロレックス・サブマリーナ」や「ロレックス・サブマリーナのレプリカ」ではなく、「自社ブランドのサブマリーナのオマージュウォッチ」であるというわけ。ただ、この定義であれば、逆説的には偽物のロレックス・サブマリーナに自社のロゴを付ければもうパチモンとか詐欺とは呼ばれず、「オマージュ」に格上げされる、とも言えるかもしれない。また、意図的にロゴを付けないノーブランドのものはオマージュとは言えないということにもなるかもしれない。

でも実際には、ぱっと見そっくりそのまま真似ているように見えてもケース径が違ったり、フォントが異なったり、針形状が違ったり、材質が違ったりするわけだ。この点多くのオマージュウォッチは高級な時計をオマージュする傾向があるから、「時計の心臓部」とも言われるムーブメントはより安価なものが使われる場合が多い。すると(ホントはもっと元ネタに似せたいと思っていても)必然的にその他の細部も異なってくるという面もあるわけだ。



例えばロレックス・スカイドゥエラーは、インデックス部分で月を表示したり、リングコマンドベゼルなどの複雑な機能が組み込まれており、単純にこれを模倣することは難しい。


Image courtesy of Aliexpress

こちらはAliexpressで販売されている、スカイドゥエラーになんとなく似たようでコレじゃない感漂うPaulareisの腕時計。インデックス8時部分の赤いのは多分ただのプリントだし、24時間GMTディスクっぽいのも「デコレーション」と明記してある。もちろんリングコマンドベゼルなどという複雑機構はない。

見た目的にはもちろん似ているが、機能的には似ていないこれは、オマージュだろうか?後述する「パロディー」とはどう違うだろうか?見た目と機能がともに似ていればそれはオマージュだろうか?

そして一体どれだけ本家とかけ離れていれば、ネガティブな含みのある「オマージュ」と呼ばれず、「オリジナルデザイン」の腕時計とされるのだろうか?


オマージュがネタ元の購入にプラスになれば「善いオマージュウォッチ」か?


オマージュウォッチが存在することで生み出される新たな市場や、「本物・ネタ元」への興味関心欲望といった点も、オマージュウォッチと引き離すことができない部分だろう。

この点に関しては、海外で日本のアニメや漫画が違法な手段を使って消費されることで、間接的に日本文化への興味関心が生まれたり、より直接的に違法消費されたアニメや漫画、その関連グッズへの合法的消費に繋がるという面とも照らし合わせることができる面もあるかもしれない。

若い時分、到底手に入れることのできない高嶺の花の腕時計。結局その代わりにオマージュウォッチを購入し、一時心の隙間を埋めるが、年月が流れる中でオマージュ購入したことでより欲求が増し、将来的に欲しかった腕時計の本物を手に入れる。もしオマージュウォッチを購入しなかったら本物を手に入れる欲望も湧かず、生涯購入しないとの仮定がある上で、このような状況を考えたときに、オマージュウォッチは正当化できるだろうか?

関連する例として;セイコーに関しては時計の愛称に「ベイビー」(Baby)が付いたものは「ベイビー」が付かない愛称の腕時計の、廉価版、初心者版、といったイメージが付いている。例えば・・・



セイコーのSBDC061は「Baby MM」(Baby Marine Master、左)と呼ばれており、SBDX017はベイビーの付かない「MM300」(Marine Master 300)となっている。ぱっと見の類似性はあるが、価格は4倍以上の開きを持っている。もちろん安い分、性能もベイビーの方が低い。このほかにも・・・



「Baby Monster」と「Monster」・・・



「Baby Snowflake」とグランドセイコー「Snowflake」など。

セイコーが意図的に特にこのような類似性と価格・品質的な段階性を持ったモデル展開をしているかどうかは判らないが、より安価な類似モデルがゲートウェイドラッグならぬゲートウェイ・ウォッチのように機能する可能性は見えてくるだろう。事実ネット上でも『「Baby Monster」買ったらやっぱ次はお金貯めて「Monster」だよね』などのやりとりを見受けることができることからは、ゲートウェイ・ウォッチとして機能している面は少なくともあるようである。

このような「ベイビー」と「ベイビーが付かないモデル」の関係は、「オマージュウォッチ」と「ネタ元となった腕時計」の関係と異なると言えるだろうか?(無論、自社製品に似たものを作るのと、他社製品に似たものを作るという点は異なるが)

また、腕時計の価格帯があまりに高価であり、その安価なオマージュに大きな値段の開きがある場合は、オマージュが購入されることでネタ元の腕時計に果たして実害が及ぶと言えるだろうか?価格差が10倍だったら?価格差が1000倍だったら?価格差が大きい場合はオマージュ購入者がネタ元を購入するのはそもそも難しいと考えることもできるが、その場合実害があるとすればイメージが悪くなることくらいではないだろうか?だが、オマージュに食われる程度のブランドイメージを持った時計はそもそもオマージュされるだろうか?では価格に開きがあればオマージュは許容されるべきなのだろうか?

もしこのような、より安価な類似モデルを購入することが、後により高価な腕時計の購入に繋がるのであれば、それが「善いオマージュウォッチ」であるとすることができるだろうか?そうであれば、オマージュウォッチの購入は正当化でき、他社が努力して生み出したデザインを真似てオマージュウォッチを制作することも正当化できるだろうか?


ブランド力が脱「オマージュ」に繋がる?


それとも果たしてこれは、時計会社のブランディング能力の差によるものだろうか・・・つまり、ブランドもしくは製品が有名であれば製品が周知されるためにオリジナルデザインだと見なされ、より無名のブランドがそれに似ていたらオマージュウォッチと見なされるのだろうか?



例えばこちらはDavosa WatchesのTernos Professional TT。ロレックスのGMT-Master II 116710 BLNR、通称「バットマン」のオマージュウォッチであると認知されている。Davosaは一応スイスのブランドであり、腕時計はスイス・メイド。Davosa公式サイトのストアファインダーによれば、日本にも同ブランドの製品を取り扱う店舗が10存在するようだ。そう聞くと、値段もまあまあすることも相まって、これまで挙げてきたような「オマージュウォッチ」とは異なる印象を受ける方もおられるだろうし、「それでも聞いたことないブランドだから」とInvictaその他の怪しげなオマージュウォッチと同一視する方もおられるかもしれない。

iPod、iPhone、iMacなどで知られるアップルは、ブラウンのデザインに「オマージュ」を捧げ、数々のヒット商品を世に送り出している。


Image courtesy of Google

そのあからさまに類似するプロダクトの数々はThe Manufacturing Revolutionでご覧戴いてもいいだろう。「Imitation is the sincerest form of flattery」(模倣は最も誠実なお世辞)という諺もあるが、アップル製品の明らかなオマージュ性が見て取れることだろう。しかしアップルが他社のお世辞には寛容で無かったことも忘れてはならない。

実は先のリンクのThe Manufacturing Revolutionの記事の方はアップル対サムスンのデザイン著作権関連の記事をベースにしており、LA Timesの元記事で「アップル」とあるところを「ブラウン」、「サムスン」とあるところを「アップル」と置き換えて、「四角い電子機器」と言う知的財産がサムスンに侵害されたというアップルの主張がいかに独善的で馬鹿げているかを風刺するものとなっている。

デザインの模倣には、知的財産の侵害という面があることは忘れてはならない。そして特に元々そのデザインを作った会社がデザインに大きな努力や、高額な対価を費やしている場合には大きな損害を受けたように感じることだろう。

だが、有名どころならいくらオマージュしても悪く見られず、若手マイクロブランドや、そもそもの規模が小さい腕時計会社はどれだけ頑張ってもデザインに既存の有名腕時計との類似点が見られれば「オマージュウォッチ」というレッテルを張られるのだろうか?


本家より質の良いオマージュウォッチ


オマージュウォッチは本家と比べて安価であり、質も低いのが当然のように思われるだろう(し多くの場合これは当てはまるのだ)が、必ずしもそうではない。

では果たして、本家より質の良いオマージュウォッチは、オマージュと呼べるだろうか?



例えばセイコーのSKXも比較的安価ではあるがオマージュ対象となってきた腕時計である。SKXには7S26というムーブメントが入っており、秒針停止機能(ハッキングとも言う)が無く、竜頭を使ってゼンマイを巻き上げる手巻き機能(hand-wind)もない。風防はハードレックスという特殊強化処理を施したセイコーの無機ガラス。「ミネラルクリスタル」だけの表記のものよりは傷つきづらいかもしれないが、それでも風防には普通に傷が付く。ベゼルインサートはアルミニウム製で、逆三角形の部分のみに丸い蓄光部がある。

SKXは腕時計MOD(モディフィケーションの略、簡単に言うと改造)コミュニティーの間でも格別の人気を誇るシリーズだが、Long Island WatchesはSKXが製造終了となってから「Islander Automatic Dive Watch」というSKXによく似た腕時計をリリースしている。

IslanderはムーブメントにセイコーのNH36(4R36の他社向けバージョン)を使用しているため、長らくファンの間に望まれていた秒針停止機能、手巻き機能が付く(SKXのムーブメントをNH36に入れ替えるというのは人気のMODだ)。風防は反射防止コーティングを施した傷の付きづらいサファイアクリスタル製。ベゼルインサートはアルミと比べ傷つきづらく退色しづらいセラミック製であり、表記部分には全てスーパールミノバ蓄光が付いている。しかも値段を考えても全てMODするより安い、299ドルで販売されている。まさに、本家よりも質の良いオマージュウォッチというわけだ。



YouTubeで時計関連動画を紹介するRandom Robが述べている通り、SKXファンが望む「SKXのあるべき姿」を形にしたものといっても過言では無いだろう。



SKXを製造終了としたセイコーはしかし、「新しいセイコー・ファイブ」ことSBSAシリーズ(上)にてSKXを表面的に蘇らせた。

200m防水でISO 6425規格に準じ、竜頭ねじ込み式で2万円程度の価格であったSKXが、SBSAではムーブメントこそ4R36に進化しているものの、SBSA100m防水で竜頭はねじ込み式で無く、価格が3万円となっていることに一部のSKXファンは快く思っていないようで、英WristworthyなどはSBSAをSKXの「ダウングレード」(格下げ)版であると報じている。(なお風防はSKX、SBSAどちらもハードレックス。竜頭がねじ込み式で無い場合の問題点としては、例え竜頭が規定位置にある状態で100m防水であったとしても、ふとした拍子に竜頭が何かに引っかかるなどして竜頭が引かれた状態になれば、あなたが何mの水位に居ても浸水する可能性があるというものがある。ねじ込み式の竜頭は、ねじ込んであるためこれが起こりづらい。)

SKXの顔を付けながらも性能が劣るSBSAにファンから嘆きの声が上がっている状況では、Islanderのオマージュは正当化することができそうにも思える。(発表こそSBSAの方が先となったが、SBSAはIslanderの質の劣るオマージュと捉えることはできないだろうか?加えて、表面的な類似性からSBSAはSKXのオマージュと言えるだろうか?)

ではこのような状況がある中で、Islanderは一体どういう立ち位置になるのだろうか?オマージュウォッチと呼べるだろうか?精神的後継機と呼んだ方が相応しいだろうか?それとも、デザインの酷似性から見下されてオマージュウォッチと呼ばれる以外ほかないのだろうか?


質の悪いものはオマージュか?




フランクミュラーとフランク三浦の関係はオマージュと言うよりかは、ユーモアや批判的な意味合いを包括したパロディーと考えることでオマージュウォッチのジレンマから脱すことができると私は考える。



ではこのような類似性を持ちながら、あからさまに(なにかが「あからさまである」とするのは主観的なものではあるが)ネタ元よりも質が低い場合や、オリジナルとぱっと見は似せていながらも実際の機能を有していない場合はどうだろうか?例えばオメガのシーマスター(左)のオマージュウォッチであるPaulareisのこちら(右)は、クロノグラフ機能を有さず、スモールダイヤル部がカレンダー(日付、曜日)と24時間ダイヤルになっているようだ。

ぱっと見クロノグラフなのに実はカレンダー。これをユーモアと言わずになんと言うべきだろうか?前の方に書いたスカイドゥエラー似のものも似たようなユーモアがあると言えるだろう。(加えて私は特にこれが何のオマージュであるか、それとも完全のオリジナルデザインであるか知らないが、先日レビューした1000円程度のFNGEENの腕時計の場合も同様の要素があるだろう。)

このPaulareisはフランク三浦のようなユーモアを持っていると言えないだろうか?それともそのようなパロディー性には元々その意図が存在しないといけないだろうか?だが製造に際してその意図があったかどうか果たして判別できるだろうか?


知らなかったらオマージュではないのか?


先ほどFNGEENの腕時計がオマージュかどうか知らないと書いたが、オマージュであっても購入者がオマージュだと知らなければどうだろうか?

加えて、多くの人がオマージュだと判らなければどうだろうか?実際オマージュウォッチのレビューの中にはそれをオマージュだと知らずに購入する人によるレビューと思しきものも見受けられたりする。



例えばファッションウォッチ界で有名なダニエル・ウェリントンに酷似する腕時計のレビューなどでは、純粋に時計のシンプルさを喜ぶものなども見受けられる。もっとも、ダニエル・ウェリントンのようなシンプル性を持った時計となると、どれがどれに似ているのか更に判らなくなるが・・・(ただ上のリンクの中でもSKMEIはオマージュウォッチ界では知られる存在なのである程度意識して何かに似せたと考えてあながち外れてもいないだろう)。

腕時計ファンでもなかなか知らないような珍しい腕時計のオマージュであれば、腕時計ファンの間でもオマージュ扱いされないかもしれない。そのようなオマージュウォッチが、規模は小さくともある程度のブランド力を持ち、認知度を上げれば、それは果たしてオマージュ扱いされるだろうか?


手に入らないものをオマージュ?


先の廃盤となったSKXに対するIslanderや、「腕時計ファンでも知らない珍しい腕時計」などとも通じるかもしれないが、手に入らないもののオマージュはどうだろう。



セイコーの「MM300」の異名を持つプロスペックス・マリーンマスター・シリーズ、SBDX001と後継機SBDX017はどちらも廃盤であり、前者はAmazonではもう手に入らないし、後者は記事執筆現在残り1点しかないようだ。



その代わりに、そのオマージュウォッチであるHEIMDALLRのこいつは普通に販売されている。このような、元ネタが手に入りづらい状況(価格差は別として)にある場合はオマージュウォッチは「善きオマージュ」となり得るだろうか?

これは最近時折見かける第一・二次世界大戦頃のトレンチウォッチやパイロットウォッチにインスパイアされた腕時計とどう違うだろうか?そのような昔の腕時計は手に入れるのがそもそも難しいし、入手できても動くものは更に少ないだろう。そのオマージュはオマージュとされるだろうか?

この「入手しづらさ」の話題には、ロレックスの悪名高いウェイティングリストもつけ加えることができるだろう。優良顧客ならリストに割り込める点もどうかと思うが、製造数を制限しながらも、高値で横流しされる同社の製品は、この悪循環でさらに価値があると思い込んで渇望する人が後を絶たない状況が作り出されている。

本当に腕時計を所有したい人が所有しづらく、所有できたら購入金額より倍の高値で販売するというような欲求と戦わざるを得なかったり、もしくは待つことができずに高値で横流し品(やスーパーコピー品)を購入してしまうと言う不健康な状況がある。このような状況ではオマージュが作られるのも当然と考えても良いだろうし、ある意味ロレックスもそれを判った上で、それでも同社のブランドに価値がある自信があり、かつオマージュが自社のブランド性をより高めると言う面(「模倣は最も誠実なお世辞」が上手く機能する例とも言えるかもしれない)からも利益を得ているがために、この販売手法を変えないのであろう。

では、古い時計を時計を「オマージュ」した時計、より最近入手が難しくなった時計のオマージュ、そして正規品を合法な手段で買いたくても購入が不可能に近い状況で、不健康なブランディングに踊らされる代わりに購入するオマージュ時計は、倫理的に違いがあるだろうか?また、あるブランドが同社の昔の復刻版を作ったら、それはオマージュと言えるだろうか?そのブランドの所有者が変わった後に、昔の同社の復刻モデルを作る場合はどうだろうか?


まとめ



*写真は本文に関係あるかもしれないし無いかもしれないが、その判断は読者の皆様に任せる

冒頭で述べたように、今後このブログでは怪しげな「オマージュウォッチ」のレビューも扱っていこうと思う。

そして私自身これまでオマージュウォッチという言葉に対してあまり良い印象を持っていない中で、このように適当に考えを巡らせてみた。そうすることで私個人に見えてきたのは:

・オマージュウォッチという言葉の定義のあやふやさ
・デザインの類似性という概念のあやふやさ
・「ゲートウェイ・ウォッチ」としてのオマージュの価値
・ブランド力の強さにより模倣ブランドが暴力を振るう事ができるという現実
・本家よりもオマージュ版の方がファンが求める要素を多く含むケース
・オマージュの持ちうるパロディー性
・元ネタの認知度がオマージュを生む可能性(元ネタが知られないとオマージュだと認知されない)
・入手が難しい腕時計を手に入れる唯一の/もしくは合理的な手段としてのオマージュウォッチ

と言うようなことだろうか。

一応「まとめ」項目とはしているが、特段結論は存在しない。これは私の考えを読者に押しつけるものではなく、私自身がオマージュウォッチのレビューをするに当たって考えたというだけのことではある。

「あの素敵なデザインが、あの欲しかった時計が、こんな価格で買えてしまう・・・でもそんなオマージュウォッチを買うことはモラル的に許されることなのだろうか・・・?」この答えは読者の皆様一人一人に出して戴きたいが、この記事がオマージュウォッチに関して深く考えるきっかけになってなって戴ければ本望だ。


Source: Wikitionary, Davosa公, The Manufacturing Revolution, LA Times, Long Island Watches, YouTube, Wristworthy

(abcxyz)

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