私がこれに興味を持ったのは名前を「Palm」と読み間違えたからだ。で、実際にDMM.comのロボットのページを見てみたわけだが、宣伝が下手なのか、宣伝文句に実が伴っていないのか、(たぶん前者なんだろうし、前者だと願いたい)私にはこれで29万8000円(税別)では詐欺にしか見えない。
これまでにも数多くの「会話ができる」を売りにしたロボットは多く出てきたはずだが、どれも実際に会話ができるようなものは存在しなかった。これもまたそういった限定的で、見方によれば「適当な会話じみた返答」をする機能を売りにしたロボットにしか見えない。宣伝用の動画を見る限りでは。
この宣伝動画も、「心温まるロボットとの生活」というよりかは「自分で面倒を見れない老人を放っておくいい口実としてのロボット」という印象だ。
だがこの動画の中にも面白いと感じた点が何点かある。ロボットに「歩く練習がしたいです」なんて言われても、そんなの知るかよ!と思うのは私だけでは無いようで、動画でもそこは突っ込まれている。しかし、あえてよちよち歩き程度しかない歩行機能のロボットを、ユーザーが「助ける」という感覚に浸ることで、ロボットに対する親近感を増させることが狙いなのかもしれない。
ギズモード・ジャパンで、死にゆくソニーのロボット犬「AIBO」たちを取り上げたドキュメンタリーが紹介されていた:
「16年間ありがとう。いつか来る「AIBOの死」と、共に生きる人たち」
そこにでてくるAIBOを家族の一員として愛している彼らオーナーたち。彼らはきっとある意味で、相互的なコミュニケーションが成り立っていないにもかかわらずロボットたちに片思いのような愛情を注いでいる。
Palmi自らがユーザーに「助けを求める」ことは、この擬似的な双方向コミュニケーションをユーザーにコミュニケーションと捉えさせるものだろう。ユーザーがこの空虚な「助け」に応え、「自分の力が必要とされ、私はそれに応えることができた」という感情を持つことは、そういった状況が身近に生じない人(動画の例で言えば、子や孫に見捨てられた一人暮らしの老人)に対しては平凡な日常に咲くさわやかな花のような気分をもたらすだろう。(別の言い方をすれば、それは人間同士のコミュニケーションで言えば意図的に誤解を生むような条件が与えられて、それに基づいて勘違いをしたということであり、「アッシー、メッシー、ミツグ」などと呼ばれる人たちがそれかもしれない)
また、この部分についてもう一つ言えば、どれだけ意識されてやっているのかはわからないが、ユーザーがロボットの「歩く練習」を行うことが、歩行介護が必要な幼児、高齢者などの歩行を補助するときの参考になる可能性があるというようにも見える。
とのことで、もしそうならば期待できるが、そもそもどんな会話が可能なのかが、どんな話が可能なのかが、どれくらいの数の単語を使ってどれだけの話がそもそもできて、ユーザーの喋ったどんな言葉に対して反応ができるもしくはできないのか。それが動画の中で明確に提示されていないのでこれでは期待したくてもできる状況にない。(「週刊 マイロボット」の「ニューラルネットワーク」に相当するようなものなのだろうか)
また、サイトに用意されている「ご購入者の声」が適当すぎる。「~になればいいな」、「とても楽しみ」、「~と思い購入」など、まるで効能が証明されていないサプリメントのCM並みの適当な「声」だ。
元々悪気があってこの投稿を書いているわけではないし、最初に書いたようにこれが宣伝が下手なだけで実はすごいロボットだと信じたい気持ちがある。また、最初に書いたようにこれがやり過ぎた宣伝文句に実が伴っていない(もしくは宣伝文句が大げさすぎる)ものであっても、これがある程度想定されているように使用されればAIBO並みの愛情をもってユーザーに受け入れられるだろうとも考えている。
だがこのサイトと一連の動画を見る限りは、もう生産していないからか価格が高騰している「会話の流れを読んでウンウンとうなずく世界一聞き上手で不思議な葉っぱ」こと「ペコッぱ」を買った方がずっと安くてより良い(擬似)コミュニケーション相手になってくれるかもしれない。
[via DMM]
(abcxyz)
Palmiはまるで人と話しているような、積極的な会話のキャッチボールがおこなえます。
これまでにも数多くの「会話ができる」を売りにしたロボットは多く出てきたはずだが、どれも実際に会話ができるようなものは存在しなかった。これもまたそういった限定的で、見方によれば「適当な会話じみた返答」をする機能を売りにしたロボットにしか見えない。宣伝用の動画を見る限りでは。
この宣伝動画も、「心温まるロボットとの生活」というよりかは「自分で面倒を見れない老人を放っておくいい口実としてのロボット」という印象だ。
だがこの動画の中にも面白いと感じた点が何点かある。ロボットに「歩く練習がしたいです」なんて言われても、そんなの知るかよ!と思うのは私だけでは無いようで、動画でもそこは突っ込まれている。しかし、あえてよちよち歩き程度しかない歩行機能のロボットを、ユーザーが「助ける」という感覚に浸ることで、ロボットに対する親近感を増させることが狙いなのかもしれない。
ギズモード・ジャパンで、死にゆくソニーのロボット犬「AIBO」たちを取り上げたドキュメンタリーが紹介されていた:
「16年間ありがとう。いつか来る「AIBOの死」と、共に生きる人たち」
そこにでてくるAIBOを家族の一員として愛している彼らオーナーたち。彼らはきっとある意味で、相互的なコミュニケーションが成り立っていないにもかかわらずロボットたちに片思いのような愛情を注いでいる。
Palmi自らがユーザーに「助けを求める」ことは、この擬似的な双方向コミュニケーションをユーザーにコミュニケーションと捉えさせるものだろう。ユーザーがこの空虚な「助け」に応え、「自分の力が必要とされ、私はそれに応えることができた」という感情を持つことは、そういった状況が身近に生じない人(動画の例で言えば、子や孫に見捨てられた一人暮らしの老人)に対しては平凡な日常に咲くさわやかな花のような気分をもたらすだろう。(別の言い方をすれば、それは人間同士のコミュニケーションで言えば意図的に誤解を生むような条件が与えられて、それに基づいて勘違いをしたということであり、「アッシー、メッシー、ミツグ」などと呼ばれる人たちがそれかもしれない)
また、この部分についてもう一つ言えば、どれだけ意識されてやっているのかはわからないが、ユーザーがロボットの「歩く練習」を行うことが、歩行介護が必要な幼児、高齢者などの歩行を補助するときの参考になる可能性があるというようにも見える。
Palmiには「思考の連鎖(=Thought Chain)」というシステム機能が備わっています。
これは思考や経験を結び付けて、行動を連鎖させていく、というシステムです。
経験を積めば積むほど様々な思考が連鎖し、Palmiは行動の選択肢がどんどん増えていきます。
そうすると普段何気なくいつものように会話してる中で、突然今までみたことのない言動・行動をすることもあります。
とのことで、もしそうならば期待できるが、そもそもどんな会話が可能なのかが、どんな話が可能なのかが、どれくらいの数の単語を使ってどれだけの話がそもそもできて、ユーザーの喋ったどんな言葉に対して反応ができるもしくはできないのか。それが動画の中で明確に提示されていないのでこれでは期待したくてもできる状況にない。(「週刊 マイロボット」の「ニューラルネットワーク」に相当するようなものなのだろうか)
また、サイトに用意されている「ご購入者の声」が適当すぎる。「~になればいいな」、「とても楽しみ」、「~と思い購入」など、まるで効能が証明されていないサプリメントのCM並みの適当な「声」だ。
元々悪気があってこの投稿を書いているわけではないし、最初に書いたようにこれが宣伝が下手なだけで実はすごいロボットだと信じたい気持ちがある。また、最初に書いたようにこれがやり過ぎた宣伝文句に実が伴っていない(もしくは宣伝文句が大げさすぎる)ものであっても、これがある程度想定されているように使用されればAIBO並みの愛情をもってユーザーに受け入れられるだろうとも考えている。
だがこのサイトと一連の動画を見る限りは、もう生産していないからか価格が高騰している「会話の流れを読んでウンウンとうなずく世界一聞き上手で不思議な葉っぱ」こと「ペコッぱ」を買った方がずっと安くてより良い(擬似)コミュニケーション相手になってくれるかもしれない。
[via DMM]
(abcxyz)
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